痛みや喪失感と共存しながらシャペコエンセが歩んだ飛行機墜落事故からの1年 - サッカー魂
痛みや喪失感と共存しながらシャペコエンセが歩んだ飛行機墜落事故からの1年
痛みや喪失感と共存しながらシャペコエンセが歩んだ飛行機墜落事故からの1年 2017/12/2(土) 12:20配信
ブラジル1部残留を果たしたシャペコエンセ(C)Getty Images 愛するクラブは、南米王者の座をかけて戦うはずだった。しかし、決戦の地へ向かうチームを悲劇が襲った。飛行機の墜落事故。かつてヴィッセル神戸でも指揮を執ったカイオ・ジュニオール監督やジェフユナイテッド市原・千葉やセレッソ大阪でも活躍したFWケンペス、柏レイソルに所属したクレーベル・サンターナら、日本のクラブに在籍した選手たちも多数、命を落とした。あの悲劇から1年。シャペコエンセに携わってきた人々、新たに携わることになった人たちは、どのような思いで過ごしてきたのか。(文=藤原清美)
生き残った選手とチームメイトの遺族たち (C)Getty Images 合同葬儀翌日からスタートした再建への道2016年11月28日。南米の大陸選手権コパ・スダアメリカーナ決勝の地、コロンビア・メデジンに向かうサッカークラブ、シャペコエンセを乗せた飛行機が、同国のアンティオキア県の山中に墜落。選手、チームスタッフ、会長を含むクラブ関係者、報道陣、乗務員の合計71人が亡くなるという悲劇が起こった。
これほど大きな衝撃から、人生の再出発とチーム再建のために戦い続けるシャペコエンセにとって、無我夢中の1年が過ぎ、先日、クラブとホームタウンであるシャペコ市は、静かな追悼セレモニーを行なった。
遺族や市民が、ホームスタジアムに集まり、ろうそくを手に教会へと行進。墜落の瞬間だった深夜1時15分に、鐘の音が鳴り響く。演出も派手さはない。あるのは、祈りと涙だった。
1年前、そのスタジアムで行われたのは、冷たい雨の中の合同葬儀。ピッチに並んだ50人もの遺体を、それぞれの故郷に送り出した副会長は、今も犠牲者の話をすると、涙で言葉に詰まる。
一方で、クラブを続けていかなくてはならない。再建の道のりは、その合同葬儀の翌日からスタートしたのだった。
選手19人を亡くしたシャペコエンセの選手は、墜落から奇跡の生還を果たし、治療とリハビリに取り組んでいた2人の他に、遠征不参加で墜落機に乗っていなかった3人のみとなった。そのため、下部組織から11人がトップチームに昇格、さらに24人が新加入した。
当初、ロナウジーニョら数々のビッグネームが、メディアを通してチームへの参加希望を表明した。だが、実際に話しに来るわけではないスターに、クラブが頼ることはなかった。
全国のクラブからの、選手を無償で貸し出すという申し出も断った。提供される選手が、ここでプレーしたいという意志を持っているとは限らない。また、シャペコエンセ側が必要とする選手であるとも限らないからだ。
もともと1973年に創立し、市と地元企業に支えられた小さなクラブが、身の丈に合った健全な経営により、短期間で飛躍的な成長を遂げたのだ。給料遅配が度々問題になるブラジルにおいて、ビッグクラブのように給料は高くないが、全員が決まった給料日にきっちり受け取れるシャペコエンセは、以前から選手の信頼も厚い。その哲学を維持し、クラブが必要とし、またシャペコエンセのために戦いたいと望む監督と選手達が、一丸となってチームを再建するという道を選んだのだ。
キャプテンのドゥグラス・グロイにとっては、これが3度目のシャペコエンセ加入となった。
「最初にオファーが来た時は、多くの友達を亡くした自分が、引き受けられるか迷った」と本音を語る。
一方で2度目の所属となった、元東京ヴェルディの右SBのアポジは「多くの友達を亡くしたからこそ、再建を手伝いたいと思った。悲しみは乗り越えられるものではなく、適応していくもの。あの痛みや喪失感と、共存していくことを学んできた。シャペコの人達のために出来る最良の癒やしは、僕らがピッチでより良いプレーをすることだよ」と、移籍当時の思いを振り返る。 次ページは:新しくなったチームに対する葛藤 前へ123次へ 1/3ページ
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