福岡をPO決勝に導いた山瀬功治。何度も経験した大ケガ。ボランチという新境地【谷間の世代と呼ばれて】 - サッカー魂

福岡をPO決勝に導いた山瀬功治。何度も経験した大ケガ。ボランチという新境地【谷間の世代と呼ばれて】

福岡をPO決勝に導いた山瀬功治。何度も経験した大ケガ。ボランチという新境地【谷間の世代と呼ばれて】 2017/12/2(土) 10:30配信 フットボールチャンネル 福岡をPO決勝に導いた山瀬功治。何度も経験した大ケガ。ボランチという新境地【谷間の世代と呼ばれて】 現在はアビスパ福岡でプレーするMF山瀬功治【写真:Getty Images】  1979年生まれ組が「黄金世代」と称される一方で、「谷間の世代」と呼ばれていた1981年世代。ワールドユース(現U-20W杯)や五輪ではグループステージ敗退を経験したが、2010年の南アフリカW杯では決勝トーナメントに進出した日本代表チームで軸となる世代となり、今なおJクラブで主力を担う選手たちもいる。現在アビスパ福岡でプレーし、11月26日のJ1昇格プレーオフ準決勝で強烈なミドルシュートを決めた山瀬功治は、自身の歩んできたキャリアについて何を思うか。(取材・文:元川悦子)

【Jリーグ】登録選手・加盟クラブが支払った仲介人報酬ランキング 福岡をPO決勝に導いた山瀬功治。何度も経験した大ケガ。ボランチという新境地【谷間の世代と呼ばれて】 豪快な左足シュートで福岡をJ1昇格プレーオフ決勝に導いた山瀬【写真:Getty Images】 ●ペナルティエリア外から左足を一閃

 冷たい雨に見舞われた11月26日。今季J2で2位以内を長くキープしながら、最終的に4位でフィニッシュすることになったアビスパ福岡が、代替本拠地である熊本・えがお健康スタジアムでJ1昇格プレーオフ準決勝・東京ヴェルディ戦に挑んでいた。

 引き分け以上で決勝進出が決まるという有利な状況ではあったが、この条件が足かせになってスキを突かれた例は枚挙にいとまがない。福岡としては喉から手が出るほど先制点がほしかった。

 それが現実になったのが前半14分。ウェリントンが奪ったボールを受けた背番号33・山瀬功治がペナルティエリア外側の遠目の位置からシュートコースを見出し、左足を一閃。見事にネットを揺らすことに成功したのだ。

 この一撃がチームにどれだけの安堵感を与えたか分からない。彼らは東京Vの反撃にもひるむことなくゴールを死守し、1-0で勝利。1年でのJ1復帰に王手をかけたのだ。

「地面がスリッピーだったので、ミドルシュートを打つ機会があればっていうのはイメージしてました。ウェリ(ウェリントン)がボールを奪ってからのシーンだったので、彼も前にいないし、シュートを打つ分にはスペースは空いていた」と殊勲弾を挙げた36歳のベテランMFは普段通りの淡々とした口ぶりでゴールシーンを述懐した。

 そうやって冷静沈着でいられるのも、京都サンガに在籍した昨年のプレーオフで敗れた経験があるから。決勝で勝たなければ意味がない。彼はそう自分に言い聞かせたことだろう。

●何度も訪れたケガとの戦い

 北海高校で育った山瀬は2000年にトップ昇格してから一気に頭角を現した。中でもインパクトが大きかったのが、2001年ワールドユース(アルゼンチン)のアンゴラ戦とチェコ戦で計2得点を叩き出したこと。

 チームはグループリーグ敗退の憂き目に遭い、2つ上の黄金世代との対比から「谷間の世代」と揶揄されたが、鮮烈な印象を残した背番号13の評価は急上昇。「将来の日本代表の10番候補の1人」とさえ見る向きも出てきた。

「僕自身はそういうふうには捉えてなかったですね。自分はヒデ(中田英寿)さんや俊(中村俊輔=磐田)さん、伸二(小野=札幌)さんみたいな天才肌の人間じゃないし、カリスマ性を持ってたわけじゃないから。そういう選手が僕らの世代にはいなかった。

 監督の西村(昭宏=高知ユナイテッド・スーパーバイザー)さんも『チーム全体でやっていく』ってスタンスを採っていたし、全員がチームをよくするためにどうするか、どれだけ組織として動けるかってことを強みにせざるを得なかったと思います。

 ただ、よく考えてみると、日本サッカー自体、強烈な個がいない部分、組織としてどう動けるかが大事になってくる。それは日本のどのチームも代表もそうですよね。僕らはユース年代の頃からベースがあったんで、そういう傾向に合わせやすかった。谷間の世代うんぬんが幸か不幸かは別として、それは1ついいことだったかな」と山瀬は81年生まれ世代の一員としてのプラス効果を口にする。

 とはいえ、山瀬のキャリアはその後も順風満帆とは行かなかった。最たるものがケガだ。2002年の右ひざじん帯断裂の重症に始まり、浦和レッズ移籍後の2004年には左ひざじん帯断裂に見舞われる。

 2005年には札幌時代の恩師・岡田武史監督(現FC今治代表)率いる横浜F・マリノスへ移籍するも、今度はヘルニアに悩まされ、コンディションが戻るまでに時間を擁した。20代のいい時期の大半をケガとの戦いに費やしたため、山瀬は傑出した才能を持ちながらも日本代表定着は叶わず、2010年南アフリカワールドカップ参戦も果たせなかった。

●現役を続けられるのは「いろんな要求に応えられる選手」

「ケガをする前から多少のケアはしてましたけど、大きなケガを何度もして、体の状態を繊細なところまで突き詰めるようにはなりましたね。100%でプレーできる状況を作り上げることがある時期からの習慣になってきて、それが今のベースになっていると思います」と本人も言うが、年齢が上がるほどコンスタントにピッチに立てるようになってきた。

 横浜のラストシーズンだった2010年は33試合に出場。2011年に移籍した川崎フロンターレでも全34試合出場を果たしている。2013年に赴いた5チーム目の京都では4シーズン続けてレギュラーとして活躍。30代になって安定感を高めたのは間違いない。

「(イビチャ・)オシム(元日本代表監督)さんの頃、ポリバレントという言葉がクローズアップされましたけど、僕らの世代は使い勝手のいい選手が多いかもしれない。今、アビスパで一緒のサカティー(坂田大輔=33歳)もそうだけど、30歳を超えて、30代半ばまでピッチに立ち続けられているやつは、基本的に監督のいろんな要求に応えられる選手。

 若い時の経験があってそうなるのか、年を取っていろんな役割を覚えてきたのかは分かんないですけど、僕らの世代に関して言えば、もともとの素養がある人間が多いのかなと感じます。

 自分自身もかつては『10番タイプ』と見られていたかもしれないけど、どちらかというと『縁の下』というか、『自分にできることを最大限やろう』と考えるタイプだった。10番的な見方をされた時期は、目立つ部分のプレーが多かっただけ。

 環境もカテゴリーもいろいろ変わって、結果的にこういうサッカー人生になりましたけど、充実した毎日送るために一所懸命やってきた。その積み重ねが今につながっていると思います」と山瀬はしみじみと語る。

●「技術とか戦術的なところはまだまだ成長できる」

 今季から在籍する6つ目のクラブ・福岡では40試合出場6ゴール。出場数だけを取ってみるとキャリアハイの数字を残している。プレーオフの東京V戦を見ても分かる通り、ボランチとしてピッチに立つ機会も多く、本人も新境地開拓に大きな手ごたえをつかんだようだ。

「ボランチはやってて楽しいし、しっくりくる感じです。FW、トップ下というオフェンシブなポジションよりも、バランスコントロールする役割の方が経験や技術、フィジカル的なものを含めて今の自分に一番合っていると思う。ボランチをやることでそのポジションの面白さを知ったりし、自分自身の枠も広がった感じはありますね。

 まだ1年もやってないポジションなんで、ここからどこまでこの役割を突き詰めていけるかという楽しみも出てきた。年齢を重ねるごとに体は衰えていきますけど、技術とか戦術的なところはまだまだ成長できる。そう思って前向きに取り組んでいきたいですね」

 東京V戦での山瀬も、三門雄大とのボランチコンビでチーム全体に落ち着きと安定感をもたらしていた。単にボールをさばくだけではなく、中盤からフィニッシュに持ち込めるのも彼の強み。その長所を遺憾なく発揮したからこそ、福岡はJ1復帰に王手をかけることができたと言っていい。

 12月3日のファイナルの相手は、同じ谷間の世代の代表格・佐藤寿人を擁する名古屋グランパス。中盤にも田口泰士ら構成力の高い選手がいるだけに難敵に他らならない。その相手にボランチ・山瀬はどう対峙するのか。彼のパンチ力溢れるシュートが再びさく裂するのか。大一番の行方が今から興味深い。

(取材・文:元川悦子) フットボールチャンネル

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