九州の3/4の面積しかない小国ベルギーが、FIFAランキング1位になれた理由 - サッカー魂
九州の3/4の面積しかない小国ベルギーが、FIFAランキング1位になれた理由
九州の3/4の面積しかない小国ベルギーが、FIFAランキング1位になれた理由 11/13(月) 19:06配信
Photo: Getty Images 2015年11月、ベルギーはFIFAランキングの首位に立った(現5位)。それまでW杯の最高順位は1986年の4位、EUROでは80年に準優勝の経験もあったが、今から30年以上も前の話。その後、表舞台で彼らの名が語られることはなかった。そんなベルギーが14年W杯で8強に入り、翌年“世界ナンバー1”の称号を得るまでになったのだ。九州の4分の3ほどの小国が“小さなサッカー大国”として代表シーンに風穴を開けるに至った過程には、一体どのようなストーリーがあったのか。関係者の話を交えながら解き明かしていこうと思う。
取材・文 小川由紀子
『ビジョン2000』に始まる協会の育成計画
1980年代の隆盛を支えたのは、元マルセイユ監督のエリック・ゲレツや“リトル・ペレ”の異名を取った至宝エンツォ・シーフォ(元U-21代表監督)がいた、ベルギーにとっての第一黄金世代だった。しかし以降はW杯に出場はしても「いち参加国」以上のインパクトはなく、EUROに至っては84年大会を最後に予選通過も叶わなかった。
そんな彼らに格好のチャンスが訪れた。EURO2000の、オランダとの共催である。そして、この大会の実行委員長に任命されたミシェル・サブロン氏こそが、今のベルギー代表を作った“育成の父”だ。彼は86年W杯でA代表のアシスタントコーチを務め、その後ユースチームの育成を担当、96年にEUROの責任者に選ばれた。大会に向けた代表育成プログラムは『ビジョン2000』と名づけられ、主に指導者の強化や指導方針の見直しが行われた。
ナショナルスタジアム、ボードゥアン国王競技場(Photo: Yukiko Ogawa) ところが努力の甲斐なく、代表はグループステージで敗退。最低目標だった決勝ラウンド進出を逃し、サブロン氏は「プレー内容ばかりにこだわって、実際に勝ち抜けるチームを作らなかった」と非難された。だが、すべてが無駄だったわけではない。開催国として得た収益をもとに、育成のためのインフラ設備を整えることができたからだ。
のちに協会のテクニカル・ディレクター(TD)となったサブロン氏は、新たに長期育成プラン構想を立ち上げる。02年W杯でマルク・ウィルモッツ、ヨアン・ワレムらの世代が引退。世代交代期を迎えていた代表にとって、それは必要に迫られた改革でもあった。彼はオランダ、フランス、ドイツといった近隣諸国の代表や、アヤックスやバルセロナなど育成に定評のあるクラブを視察して回り、メソッドを学んだ。そうして06年、現在でも下地となっている協会主導の育成プログラムを完成させた。
サブロン氏が柱としたのは、異質とも言うべき2点だ。
1つ目は、フォーメーションの徹底。それまでのベルギー代表は[3-5-2]、あるいは守備的MFを2人置く[4-2-1-3]が主流だった。彼はそれを中盤が逆三角形の[4-3-3]に変え、さらにディフェンスは「ゾーン」というシステムを基本として、それに基づいた指導を各クラブ、サッカースクールに徹底させた。指導書の中には、1対1の時はどうプレーするか、といった細かな指示まで書かれていた。U-21代表を率いている元代表MFのワレムも証言する。
「協会が打ち出したフォーメーション通りに指導は行った。[4-3-3]というシステムだけじゃない。ベルギーではパスより先にドリブルするよう教える。とにかく前で走って攻撃しろ、と。それを基本に、あとは年代に応じてチームプレーやゲームの進め方といった点を指導していく」
[4-3-3]が機能するとサブロン氏が判断したのは、各国の状況を見てのことだった。やり方を徹底することの利点は、ベルギー中の選手が子供の頃からこのフォーメーションに馴染んで育ち、その先トップクラブに進もうと、代表に選ばれようと、ともにプレーするのが誰だろうと、自分のポジションでやるべき仕事が体に染み付いているようになること。小国だからこそ可能だった方針とも言える。
彼がこの指導書を持って各クラブを回った際には、猛反発を食らったという。しかし、それまでの方針を貫きたい、という指導者たちを説き伏せ、指導書通りのトレーニングを依頼。メディアからも批判を受けたというが、3年、4年と経ち、周辺国との対外試合などで目に見えて結果が表れ出すと、次第に反発も消えていった。
サブロン氏がもう1つ徹底したのは、若い世代のチームに「結果」を求めないよう指導することだった。クラブやスクールを訪問した際、まず彼が施設長に頼むのは「壁の順位表を外してください」ということ。勝ち負けにこだわるのではなく、選手一人ひとりの技能の向上にフォーカスすることが、若い世代では何より大事だと説いて回った。
彼が定めた中にはこんなルールもある。「一度ランクを上げたら二度と逆戻りさせないこと」。下の年代カテゴリーの選手が、たまに上のカテゴリーに混ざってプレーすることはよくあるが、一度引き上げたらそのまま元のカテゴリーには戻さない、という決まりを作った。これは「常に先へ進む。後退はしない」という意図を選手本人に身をもって体験させるためだった。
御年70歳のサブロン氏は、シンガポールサッカー協会に招かれ、現在はそこでTDを務めている。ベルギーで成功させた育成方法で、今後は他国に貢献するのが彼のライフワークだ。 次ページは:エリートスクール『Topsport』の設立 前へ123次へ 1/3ページ
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